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神頼みロマンス
冷えきった空気を切り裂くように、目の前の紐へと手を伸ばす。
赤と白の紐が交互に編まれ太い一本となったそれを手前に手繰り寄せれば、社殿の古びた鈴がカラカラと音を立てた。そのまま賽銭箱へ五円玉を投げ入れ、深々と頭を下げる。吐き出される息は白く縁取られ、境内の奥へと消えていった。柏手を二度打ち両手を合わせ、まずは前年のお礼を神様に告げる。「昨年はありがとうございました」。
さあそして、ここからが本番だ。瞼の裏側に、夏休みのオープンキャンパスで模擬授業を受けた最京大学の教室を描き、キャンパスライフを想像する。あと数ヵ月で、私はあそこの学生にならなくてはならない。
アイロンをパリッと効かせてあるスーツを身に纏った白髪混じりの中肉中背の教授が、スクリーンに投影されたスライドを交えて解説をする。私は講義の概要を、手早くルーズリーフに記していく。
チラリと左隣に目を配れば、金髪の男が片方の耳だけを教授の声に傾け、パソコンで株の動向を見つつ、対戦を間近に控えたアメフトチームのスコアブックに印をつけている。相変わらず器用なもんだと感心しつつ、「蛭魔」と声に出さずに口を動かせば、男は私の顔など見ずに「授業聞いてねえと単位落とすぞ」と呟く。
すべての講義が終われば二人揃ってアメフト部の部室へ向かい、蛭魔は練習を、私はマネージャー業務をこなす。
この脳内のイメージを現実にしなければ。
直近の模試で最京大学はC判定だった。夏の模試ではB判定を貰っていたため、少々油断が出てしまったのかもしれない。蛭魔はいつもA判定だし、そもそも初詣なんかに行く性格ではないので、彼の分まで志望校合格を祈ってやることにする。神頼みするよりも問題集をこなせと小言を言われそうな気もするが、受験勉強の息抜きも兼ねているのだ。許してもらおう。
それに、親切にも蛭魔のことも私のお賽銭でお願いしてあげているのだから、文句はないはずだ。さあ神様、この願いを叶えてくださいね。
——二人揃って最京大学に合格しますように。
無事に目的を果たし、両脇に並ぶ屋台の数々に見とれながら砂利道を歩いていると、後ろから肩を叩かれた。
振り向けば、細長い人差し指がプニ、と右頬に刺さる。ケケケと笑う蛭魔は、襟元にファーのあしらわれた真っ白なダウンを着込んでいた。彼のイメージとは真逆のコートはいつまで経っても見慣れない。
「新年早々、間抜けなツラしてやがる」
「蛭魔、どうしてここに?」
「誰かさんの合格祈願」
誰かさんの合格祈願。誰の? ……恐らく、私の。合格祈願なんてこの男には不釣り合いの言葉に目を丸くすれば、「その表情、ブスが際立つぞ」と嫌みを言われた。大きなお世話だ。
しかしまあ、まさか神社で蛭魔に会うと思ってもみなかったので、私はどうにも野暮ったい。いつにも増して不恰好である。北風に煽られた髪の毛はボサボサだし、寒さ対策のために履いてきたズボンは二年前に購入したもの。ダッフルコートにはいくつもの毛玉が縮こまっている。もう少し気合いを入れて来たらよかったと、後悔の念に襲われた。
「用が済んだならさっさと帰るぞ。インフルになった、なんてシャレにもなんねえからな」
蛭魔は人混みの中をかき分けて数歩前進したあと、くるりとこちらに方向転換した。細くて長くて、アメフトの連絡し過ぎでゴツゴツとした右手が差し出される。迷子になるとでも思われているのだろう。無言でその手を握ると、凍てつくようにヒンヤリとしていた。
横目で蛭魔の顔を窺う。スラリと伸びた鼻先と、人より尖った耳が赤くなっている。真冬の夜に出歩いているのだから当然なのだが、あの蛭魔妖一が寒さを感じているということが、なんだか無性におかしく感じた。
ああ、蛭魔は私のために、寒い中、ガラにもなく神頼みなんかをしてくれるんだな。
決して口にはしてくれないが、彼の不器用ながらも真っ直ぐな優しさが、絡めて離れない指先から伝わってくる。さっきまで冷たいと思っていた蛭魔の手が、今はぬくぬくと温かく感じる。
この先もずっと、繋いだ手を離したくない。蛭魔も同じことを考えてくれていたらいいな。
「なら、帰って過去問の復習な」
「ゲ!? もしかして、心の声聞こえてる?」
「バーカ。テメーの考えることなんぞ、全部分かンだよ」
私の手を握り締める蛭魔の力が、ギュッと強まった気がした。
2020/1/12 初出
2020/12/13 加筆・修正