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健やかなる時も、

​病める時も。

 話がある、とリゾットから電話があったのは一週間も前。用件なら受話器越しに伝えてくれたら良いのに、と返したが、顔を見て伝えたいと頑なだった。

「なにもこんなところに、しかも夜更けに呼び出さなくても……」

 指定されたのはイタリア北部の廃村。昼間でさえ人気がないというのに、今はもうすぐ0時である。幽霊でも出るのではないかと、私は体を震わせた。

「よう。ちゃんと来たな」

「プロシュート……どうして貴方まで?」

 いつもと違って胸元のボタンを上までキッチリと留めたスーツで現れたのは、リゾットと同じチームに所属するプロシュートだった。ここにいるのは彼だけではない。ペッシ、イルーゾォ、メローネ、ギアッチョ、ソルベにジェラートと、暗殺チームの面々が勢揃いだ。

 不可解なのは、全員が黒いスーツを身に纏っていることだった。

「誰かのお葬式でもあるの?」

 ドレスコードについて教えられなかった私だけが普段着のワンピースで、なんだか場違いな気がしてしまう。

​ そもそも、私を呼びつけた張本人のリゾットはどこにいるのだろうか。

葬式だなんて物騒だなァ〜。なあに、俺たちからちょっとばかしプレゼントがあってな。俺の出す鏡の中で、着替えてくれないか?」

 イルーゾォがスタンドを発現させる。覗きなんてしないからとメローネに促され、訳も分からないままに、鏡の世界に置いてあった服に袖を通した。

わぁ、とても良く似合っているよ!」

 現実の世界へ戻ると、ペッシが嬉しそうな声を上げ、プロシュートは満足そうに頷いて見せた。

 瓦礫に腰掛ければ、いつの間にか背後に回っていたイルーゾォが私の髪をブラシで撫でていく。

 どこで用意したのか、メローネはメイク道具をズラリと並べた。

 男たちの服装は闇に溶けてしまいそうな漆黒だというのに、私は純白のドレスに身を包んでいる。

 突然贈られたチグハグなプレゼントに心当たりは一つもなく、首を傾げる他ないのだった。

 いくつか星が流れていく間に、私の髪には編み込みが施され、顔は今年の流行色の化粧品で彩られてしまった。

 これではまるで——。

さすがアイツが選んだ花嫁だな」

 お手をどうぞ、なんてプロシュートに左手を差し出されてしまえば、イタズラなのかなんなのか、今日はエイプリルフールかしらと不思議に思うしかない。ギャングの考えることは、いつだって見当が付かないものだ。

俺からの贈り物はこれだ」

 ギアッチョがホワイト・アルバムで氷のベールを作る。長すぎる裾を、後ろでソルベとジェラートが持ってくれた。

 彼ら二人は「大人のベール・ボーイなんて前代未聞だけれど、どうしてもやりたくて申し出たんだ」と私に囁いた。

 暗殺チームなんて物騒な名前を冠するグループに、こんな乙女チックな趣味があるとは。私は観念し、この結婚式ごっこに付き合うことにした。

 花婿役はどう考えたって一人しかいない。

 バージンロードとは名ばかりの瓦礫道を、プロシュートのエスコートで歩く。終着点には真っ白のタキシードを着たリゾットが佇んでいた。

 いつもは隠されているシルバーの髪が、月の光を受けて輝いている。黒目がちなその瞳には優しさが宿っており、暗殺を生業としている人間であることなど、にわかには信じられなかった。

まるで女神だな」

……ホルマジオ。神父役のお前が花嫁を口説くだなんて、辻褄が合わないだろう」

 ヤベェと苦笑するホルマジオは、私とリゾットを引き合わせた張本人だった。勤めていた花屋で、ホルマジオが私に声を掛けた際、隣に居合わせたのがリゾットだったんだっけ。

 美丈夫にナンパめいたことをされた時は驚いたが、彼らの本職を知った日に比べたらどうということはなかった。

私、リゾット・ネエロは、生涯妻を愛すると誓います」

 生きるため、まるで悪魔の所業のような人殺しをしているリゾットが、神に誓う日が来るなんて皮肉な話だ。

 ぼんやりと物思いに耽っていると、私の氷のベールが、恭しく顔に掛けられていく。

 チームの八人と満月に見守られ、私とリゾットは夫婦になるためのキスをした。

 交換した指輪は、儀式の間だけ存在を許された、ギアッチョお手製の氷だった。私がギャングの抗争に巻き込まれないようにという、リゾットなりの配慮からだった。

 そう、私たちは決して本当の夫婦になどなれない。

 イタリアを牛耳るギャングにとって、妻の存在など足枷にしかならないのだ。一緒に住むことも、子を成すことも叶わない。

 この酔狂なお遊びを味わい尽くすしか、夫婦の形など存在しないのだ。

もうすぐボスの手掛かりが掴めそうだ。それが終わればもう一度、ホンモノの結婚式を挙げよう」

 これはそれまでの繋ぎだと、リゾットは穏やかに笑う。しかしその微笑みに哀愁がちらついていることを、この場にいる誰もが見落とすことはなかった。

「ねえ、リゾット」

 ——死なないで。陳腐だが切実な願いは夜空に吸い込まれてしまい、私の口から発されることはなかった。

「健やかなる時も病める時も、死が二人を別つまで……いや、違うな」

 いつの間にか私の頬を伝っていた涙は、リゾットの骨張った指によって拭い取られた。

私が二人を別つとも、俺が愛する妻は、お前一人だ」

 証拠を残して生きられない私たちには、二人で並ぶ写真の一枚だって許されない。今この瞬間を脳内に焼き付け、記憶というアルバムに永遠に飾ることしか、術はないのだ。

 この粗末な戯れをもしも神様が見ているならば、どうか私たちが慎ましく、ささやかな喜びに満ちた毎日を過ごせますよう施してください。

 死体と結婚だなんて、私にはまっぴら御免なのよ。

 

 

2019/6/17 初出

​2020/12/11 加筆・修正

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