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さよなら・チョコレヰト
※この作品内にある、高校生の飲酒を連想させる描写・差別的な発言は、金剛阿含の原作での言動を尊重したために生じたものです。
日付が13日に変わった直後、私の携帯電話が真っ暗な寝室で点滅した。
個別のメロディを登録してあるので瞬時に分かった。阿含からのメールだ。
高校二年生の金剛阿含くんは男子校の寮生にも関わらず、年上の女性の元を転々と寝泊りしている。私もその「年上の女性」の一人だ。
双子のお兄さんが同じ高校にいるはずだが、素行に関しては何も言わないのだろうかと疑問に思わなくもない。しかし、お兄さんがこうして見逃してくれていることにより、阿含くんがアパートに遊びに来てくれているのも事実。顔も知らない(とは言っても双子なので、きっと阿含くんにそっくりなのだろう)お兄さんに感謝をしておくことにする。
携帯電話の液晶画面には、「明日行く」という素っ気ない文字だけが並んでいた。
阿含くんはいつだって唐突だ。数日前に突然、予定を空けておくようにとだけ告げられる。
それは常に一方的で、逆らうことはイコール、阿含くんとの決別を意味する。つまるところ私は、阿含くんの言いなりなのだ。
急で唐突で、一方的な約束でも、私は舞い上がってしまう。三ヶ月前に阿含くんが気紛れで取ってくれた、クレーンゲームの景品であるクマのぬいぐるみに語り掛ける。
「14日に阿含くんが来てくれるんだって」
緩んだ頬を隠すこともしない。
14日に、阿含くんが私のアパートに来てくれる。
2月14日! プレイボーイの阿含くんが、この日をただの平日だと認識しているはずもない!
何人もの女性の誘いを断り、私にこの日を割いてくれるのだ!
嬉しさのあまり、タオル地のクマのぬいぐるみに顔を埋めた。
その日は年に一度の、バレンタインデーである。
阿含くんはチョコレートを目当てに、きっと私の家に泊まりに来るのだ。
§
14日の日は会社を休んだ。猫のように気紛れな阿含くんだから、日付が変わった瞬間に私の家のチャイムを鳴らすかもしれない。朝に占いを見ながらお味噌汁を飲んでいる時かもしれないし、お昼にカップラーメンを啜っている時かもしれない。
彼がチャイムを押した時に私がいなければ、それでゲームオーバーである。
私が素早く対応しなければ、きっと別の女の子の元へと行ってしまうだろう。それだけは断じてあってはならない。
阿含くんは何の取り柄もない私を、バレンタインデーの相手に選んでくれたのだから。
彼の寮は精進料理が中心だと耳に挟んだことがあったので、晩ご飯には国産のステーキ牛を用意した。育ち盛りの高校生のタンパク源は、大豆よりも牛肉の方が良いに決まっている。しかし彼の分の牛肉は、未だ冷蔵庫の中で眠っていた。
時計は残酷にもあと30分ほどで、15日を告げようとしている。阿含くんと一緒に飲もうと用意しておいた白ワインは、すべて自分で飲み干してしまった。
アルコールの回った脳みそで考える。
……あーあ、彼にすっぽかされたんだ。
今度はいつ会えるかなあと思いを巡らせていたら、乾いた室内にピンポーンと無機質な音が響いた。
阿含くんだ!
玄関へと走り、ドアの鍵を解除する。ガチャリ。開いたドアの向こうには、パンパンに膨れ上がった紙袋を両手に抱えた阿含くんが佇んでいた。ああ。相変わらず、恰好良い。
「よお」
「へへ……、ハッピー・バレンタイン」
ひんやりとした空気を纏った阿含くんを、家に上げた。
例年よりは幾分か暖かいとは言われていても、冬は冬だ。寒い中、私の家まで尋ねてくれた彼を労うために、お風呂の追い焚きボタンを押してやる。
今晩は私の元でゆっくり暖を取って、それからぐっすりと眠ってほしい。
笑っていても、どこかで思い詰める素振りを見せているのが阿含くんだ。私のところでくらい、高校生らしく振る舞ってもらいたかった。
リビングで立ち竦む彼のマフラーを外すと、膨らんだ紙袋を胸元に押し付けられた。
「やるよ」
「へ?」
チラリと紙袋の中を覗けば、赤やピンクの包装紙が蠢いている。
何かと問わなくても理解できる。たくさんの女の子から渡された、バレンタインのチョコレート達だ。
こんなに大量のチョコレートを贈られるなんて、まるで芸能人の桜庭くんみたいだ。……阿含くんは、食べないのだろうか。
「俺、手作りのチョコレートとか無理なんだよね。キモいじゃん? 代わりに食ってよ」
「寮にいるお兄さんに渡したら?」
「男に渡すとかホモみてーじゃん」
阿含くんはソファにドカッと座り、長い脚を優雅に組んだ。
「その場で捨てるのも後々面倒だしさ。処分しといてくんね?」
処分、という単語だけが脳裏にこだました。処分。
きっとこの日のために何人もの女の子が、彼の喜ぶ顔を思い浮かべながら、腕によりをかけてチョコレートを作ったはずだ。
阿含くんに食べてもらうことだけを願って、デパートの特設会場を往復し、レシピを何度も吟味した。
顔も名前も知らない女の子達の気持ちが、痛いほど分かってしまう。
だって、私もその女の子の中の一人なのだから。
私だけが特別に選ばれて、彼にチョコレートを渡すことができるだなんて願ってはいなかった。たくさんの中の一人であるだけで良かった。阿含くんに渡すことができたなら、それだけで幸せだった。
しかし彼は、それらを処分するようにと私に告げた。
「気にすることねーよ? 食わねえけど、ホワイトデーにはプレゼントしてくれた女全員にお返しするし」
そう言った阿含くんは、チョコレートの押し付け先を見つけて満足したのか、そのままソファでスウスウと寝息を立て始めてしまった。
私の用意したステーキ牛と手作りのチョコレートケーキは、冷蔵庫の中でひっそりと役目を終えた。
紙袋の中のチョコレートも、冷蔵庫の中のチョコレートも、明日の朝には等しく、ゴミ箱の中に葬られるのだろう。
2020/2/15 初出
2020/12/10 加筆・修正